ガタン!と、いつもより大きな音を立てて休憩室のドアは開く。
山吹はびくりと体を揺らす。マグカップの中でコーヒーは大きく揺れる。
ギリギリセーフっすね!
どうした!?そんなに急いで?
いやぁ仕事が長引いて・・・先輩が帰って・・もう居ないかと・・・
確かにいつもより遅い時間だ。山吹は今更それに気がつく。
白波は肩で息をしながら、言葉も途切れ途切れである。
ふむ・・・白波君。君は今、息切れを起こしている。
それは見ればわかるっすよね!?
うん。見れば分かる。声が出ていて異常な音ではないから閉塞はしていない。呼吸数は増加している。そしてきっと脈拍も増えていて血圧も、僅かに上がっているだろう。その結果無事Spo2も正常である。意識レベルも当然クリアだね。
何を・・・息も・・・頭も・・・追いつかないっす・・・
何度か深呼吸をして白波は椅子に腰を下ろした。
人が一生懸命急いで来たのに、いきなり何なんすか?
何って?所見を述べただけだけど?
山吹は唇を片方だけ上げて笑っている。本当にこの人は、と白波はジィッと睨みつける。
なるほど。偉大なるセラピストである先輩には、症状だけを見て可愛い後輩を思いやる気持ちが無い冷徹人間みたいっすねぇ。
何をいきなり・・・。
所見を述べただけっすよ?
眉をしかめる山吹を見て、白波の息は整った。
そう言えば先輩。Spo2の話で思ったんすけど、やっぱり酸素って大事っすね。
今更言わなくてもそれは当然だろう。
いや、そういう意味じゃなくて、しっかり呼吸して酸素を身体中にめぐらせるために、肺も心臓も頑張っている事が何となく分かってきたっす。
よく見ると白波は付箋紙の貼られたノートを両手で抱えている。この子なりに努力しているのかと山吹は思う。
確かに、生死に直接的に関わっているのは酸素だと言えるね。もちろん体を保つための電解質や栄養素、それぞれの酵素や様々な物も大切だけど。単純に呼吸が止まったら人は死ぬ。もちろん心臓が止まったり、循環する血液自体が無くなる。そして血圧が保てない。いろいろ要因はある。けど、酸素を送り届けられず、それを代謝できなくなる事で人は死ぬ。
死ぬって言葉はちょっとキライっす。
・・・僕もだよ。だけども現実としてそれは有る。だから必ずバイタルサイン測定の中で呼吸の観察は必須だと思う。
息が切れますからね!
まぁそうだね。と山吹は答える。
時に白波君。1分間息を止めてくれないか?
嫌っす。苦しいっすもん。
山吹は目を細める。それを見て白波は目線を逸らす。
なら先輩もご一緒に!
何で僕が・・・。
と言いつつ、流されるままに山吹もまた息を止める。一分間の間、奇妙な沈黙が休憩室を包む。
・・・っとまぁ・・・酸素を一分間でも取り入れないとこうも辛い。
なんか必要以上に息が切れてますね。運動不足っす。
それは・・置いておいて・・・十分な酸素が取り入れられないと、体は必死に酸素を取り入れようと働き出す。
肩で息をするっていうヤツっすね。
そうだ。そしてなんで君はそんなに平気そうなんだ。
若さっすかねぇ。と白波は得意そうに答える。それは否定できないと山吹は思う。
しかし今の呼吸は上部胸郭優位の呼吸だよ。胸と肩で息をする。そして肩で息をすると言う表現でもう一つ表現があったね。
努力呼吸っすね! あれ?でも今の先輩が努力呼吸じゃないんすか?
ようやく息が整ってきた山吹はふぅと一息つく。
努力呼吸は簡単に言うと首の筋肉が働いている事が分かるくらいの呼吸だ。どれくらいかと言うと・・・白波君。自分で自分の鼻と口を塞いでくれないか?
なんすか!? 殺すつもりっすか!?
それをして僕に何のメリットもないだろう。
そういう問題っすかね?
口を尖らせながら白波は、言われた通りに鼻と口を塞いで息を吸う。白く細い首から筋肉の動きが分かる。
どうだ?
どうだ?って全然息できないっすよ!?
そうそれが努力呼吸だね。
・・・これがっすか・・・?
努力呼吸筋が働くほどの呼吸はそういう事なんだよ。
そうすっか・・・と白波は自分の首を触っている。まるで息を切らす様子は無い。
とにかく呼吸を測定するという事はとても大事な事だから、ゆっくり話していくよ。
うっす!
あれだけ息を切らしていたはずなのに、白波は何故こんなに元気なのだろう。
やはりもう若くないのかな。何故か敬礼している白波を横目に、山吹はそう思った。
白波百合のノート10
・呼吸を測定する事はとても重要。他のバイタルサイン測定を学んでよりそう思う。他も大切だけど・・・
・努力呼吸はとてもしんどい事である。だから患者様もとってもしんどい。
・先輩に体力だけは勝っている。←今の所はである。
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